いにしえ峠道

既に記憶からも遠くなり忘れ去られた峠越えの山道を歩いてます

旧軽岡峠

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現在の国道158号(472号供用)は荘川から高山に抜けている。途中清見に出る手前に軽岡のトンネルを抜けているが、以前はその北側を走る新軽岡峠を越えていた。

旧峠のある場所の北を高速道路のトンネルが走っているが、国道と新軽岡峠は北側に山塊を大きく迂回して走っている。

その新軽岡峠は御母衣ダム工事に使用する資材運搬の道として昭和34年に完成した道路だという。

それ以前の軽岡峠は、高速の軽岡トンネルの通る峰からさらに南へ500メートル程下ったあたりを通る峠道であった。

しかも、その旧峠は馬車が通える程に整備され峠はトンネルが敷設されていたという。


今回は下調べもほとんどなく、ぶっつけ本番の探索となった。
いずれにしても峠までは車で行くことはできなそうなので、林道で近くまで行きそこから歩いて探索しようと、初め荘川町六厩から高速道路の軽岡トンネル出口を越えて続く林道から侵入しようと試みたが、林道は入口からわずかな場所で荒れていて車での通行困難で、歩いていくには少し遠そうなので、こちらからの探索は諦め改めて反対側から侵入をした。

荘川町三尾河から南に川筋を入っていくと、高速道路の軽岡トンネル入り口あたりを越えて続く林道があり、崖で細い道幅に注意しながら侵入すると、なんとか軽岡峠入口にあたる谷筋まで行くことができた。(そこから先は国有林となっていて施錠されている)

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峠へ続く谷筋の入口

谷筋に沿って進むクローラー道を入っていくと、すぐ道は途切れそのまま沢筋を歩いて行った。
沢筋には一部、古道跡のような人の歩いたような部分もあったが、こちらも崩壊が激しくその痕跡を確かめることができなかった。
20分程行くと、左側に石積みの痕跡を発見し、さらに上部には大規模の石積みがあったので、沢を離れて登ってみることにした。

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谷筋にある石積み跡(そのさらに上に大規模な石積みがある)

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石積みの上部まで登るとそこは旧道跡であった。
しかも2m近く幅のある高規格の旧道跡で、初めは近年敷設されたクローラー道(林業作業車用)かと思ったが、それにしては石積みが古く時代が合わない。
(後でこれが馬車が通っていた道であったことがわかった)

その道をさらに峠まで少し歩いたらなんと、トンネルが出現した。
事前情報も得ないままだったので、ちょっと驚いた。
どうかんがえても場所的に峠のトンネルに間違いないようだ。

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トンネルは入口近くに土砂が堆積し侵入不可能であったため、その上部に登り峠部分を探した。
笹藪の激しい場所をかき分けて登ったら峠らしい鞍部に出た。
峠跡の痕跡らしいものは何一つなかったが、境界杭跡の様な角柱の残骸があった。

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峠から東側を眺めた光景

間違いなくここが峠に違いないが、トンネルができてから既に60年近くが経ちそれ以来ここを通るものはいなかったようだ。(トンネル工事のためか峠に至る古道も見当たらなかった)

帰りはまっすぐ馬車道跡を進んでみることにした。

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道は谷筋に沿って敷設されていたが、沢よりも30~50m近く高い部分にあるため沢を歩いていても気づかなかった。
思いのほか広く歩きやすい道だか、経年の雨雪により数か所崩落していて慎重に迂回をしなくてはならない場所もあった。

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深い谷を迂回して反対側から見た馬車道の石積み

馬車道は谷を迂回しながら、高速トンネル入口を少し入ったあたりにつながっているようだったが、車をデポした場所から離れているため、谷筋出口あたりの急な山尾根を下った。

今回の軽岡峠は高山から小鳥峠、松ノ木峠を越え、さらに軽岡峠を越えて、美濃や白川街道に抜ける重要な街道筋であったが、そのためか馬車道の敷設により、それ以前の古道跡の痕跡はほとんど消えていた。
歩いてみて考えられるのは、谷筋は荒れてなければ歩きやすい谷であったようので、古道は谷筋を来て峠を越える道であったのではないかと思う。

(反対側からの探索の記録はいくつかウェブ上に見受けられるようだ)

以前旧軽岡峠にあったという、峠のお堂が国道158号線のくるまーと六厩公園に移設されている。
いったん新軽岡峠に移設されてから、国道トンネルができてここに再移設されたという。
神社やお堂は人の利便性に伴いどんどん山を下りてくるものらしい。

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