2023-03-01から1ヶ月間の記事一覧
中世にこの鎌倉街道が本来の目的通り軍事利用されていたのなら、何等か歴史記述にその痕跡があるに違いない。近いところからその痕跡をたどってみよう。 『太平記』によれば、延元3年(1338年)頃、足利幕府は、越前の南朝方新田義貞を討つため東海の諸将を…
1 道が開かれる 狩猟採集の時代、人々が山野を走りまわって踏みつけた跡が小径となり、また獣道が道の原型となっていた。これらの道を使って石器や土器が運ばれ、文化の伝播や物資の交換などの交通現象が始まった。 弥生時代には各地に「ムラ」から「クニ」…
■峠の魅力の構成要素 岡山大学 環境理工学部 教授 馬場 俊介 峠は国境(くにざかい)、市町村境として、人間にとって生活や経済活動の境界となってきた。また、分水嶺という自然の境界線が、動植物や地層の分布境界を形づくってきた。こうした峠と、そこに通じ…
美濃飛騨に残る鎌倉街道の残影を求めて縷々書いてきたが、では現代の鎌倉街道はどうなっているのだろうと考えた時、あらたな鎌倉道の姿が見えてきた。中部縦貫自動車道は、北陸道福井北JCTから東に、勝山から大野を抜け、九頭竜ダムから油坂峠を越えて、東海…