いにしえ峠道

既に記憶からも遠くなり忘れ去られた峠越えの山道を歩いてます

鎌倉街道

幻の鎌倉街道を考える⑤

中世にこの鎌倉街道が本来の目的通り軍事利用されていたのなら、何等か歴史記述にその痕跡があるに違いない。近いところからその痕跡をたどってみよう。 『太平記』によれば、延元3年(1338年)頃、足利幕府は、越前の南朝方新田義貞を討つため東海の諸将を…

現代の鎌倉街道 (幻の鎌倉街道番外編)

美濃飛騨に残る鎌倉街道の残影を求めて縷々書いてきたが、では現代の鎌倉街道はどうなっているのだろうと考えた時、あらたな鎌倉道の姿が見えてきた。中部縦貫自動車道は、北陸道福井北JCTから東に、勝山から大野を抜け、九頭竜ダムから油坂峠を越えて、東海…

幻の鎌倉街道を考える④

前項、幻の鎌倉街道を考える③では、ロマンに走りすぎてしまったので、ここで軌道修正する。近世には、修験者をはじめ遊行僧、繭や藍など仲買や行商者、旅芸人などが頻度にこの道を通っていたし、もちろん近隣住民も通う道であったに違いない。繰り返すが、川…

母袋と幻の鎌倉街道

母袋を東西に抜けつながる鎌倉街道の概念図 山を越え伸びる、いにしえのハイウェイ 母袋(もたい) それがこの集落の通称として古くから呼ばれている名前です。古い地名には、漢字が定着する以前の地域呼称が含まれていると言われています。その呼び名にどのよ…

幻の鎌倉街道を考える②

服部氏の『峠の歴史学』に記述された、鎌倉街道についての概要は①に書いたが、著書にも書かれているように、過去にもいくつかの資料からその存在が明らかになっている。飛騨・信濃の鎌倉街道については、岐阜県教育委員会発行の『歴史の道・飛騨<野麦・越中>…

幻の鎌倉街道を考える①

服部英雄氏の著作『峠の歴史学』を読んで、その中にも記述のある鎌倉街道について改めて考えてみたいと思う。以前から郡上の北西部の地域に『鎌倉街道』という山越え道の伝承が残っていることについてこのブログの中でも部分的に触れていたが、この書物にあ…