いにしえ峠道

既に記憶からも遠くなり忘れ去られた峠越えの山道を歩いてます

2023-01-01から1年間の記事一覧

仏(佛)峠

この峠は現在の国土地理院地図ではその場所が明記されていない、まさに旧峠です。場所は、郡上市に現在建設中の内ヶ谷ダムサイトの西北西の福井県境にあった峠道で、福井の旧穴馬村にある野々小屋谷川から荷暮集落に出る山道です。今回は、岐阜の県道52号(白…

幻の鎌倉街道を考える⑤

中世にこの鎌倉街道が本来の目的通り軍事利用されていたのなら、何等か歴史記述にその痕跡があるに違いない。近いところからその痕跡をたどってみよう。 『太平記』によれば、延元3年(1338年)頃、足利幕府は、越前の南朝方新田義貞を討つため東海の諸将を…

美濃の峠と道(平成11年3月建設省中部地方建設局岐阜国道事務所発行「美濃の峠」より)

1 道が開かれる 狩猟採集の時代、人々が山野を走りまわって踏みつけた跡が小径となり、また獣道が道の原型となっていた。これらの道を使って石器や土器が運ばれ、文化の伝播や物資の交換などの交通現象が始まった。 弥生時代には各地に「ムラ」から「クニ」…

峠の魅力(平成11年3月建設省中部地方建設局岐阜国道事務所発行「美濃の峠」より)

■峠の魅力の構成要素 岡山大学 環境理工学部 教授 馬場 俊介 峠は国境(くにざかい)、市町村境として、人間にとって生活や経済活動の境界となってきた。また、分水嶺という自然の境界線が、動植物や地層の分布境界を形づくってきた。こうした峠と、そこに通じ…

現代の鎌倉街道 (幻の鎌倉街道番外編)

美濃飛騨に残る鎌倉街道の残影を求めて縷々書いてきたが、では現代の鎌倉街道はどうなっているのだろうと考えた時、あらたな鎌倉道の姿が見えてきた。中部縦貫自動車道は、北陸道福井北JCTから東に、勝山から大野を抜け、九頭竜ダムから油坂峠を越えて、東海…

幻の鎌倉街道を考える④

前項、幻の鎌倉街道を考える③では、ロマンに走りすぎてしまったので、ここで軌道修正する。近世には、修験者をはじめ遊行僧、繭や藍など仲買や行商者、旅芸人などが頻度にこの道を通っていたし、もちろん近隣住民も通う道であったに違いない。繰り返すが、川…

幻の鎌倉街道を考える③

いにしえ、この街道を通っていた人々の足音をたよりにその姿を想像する。ある意味それは、歴史ロマンである。近世の渡世者の姿から、山を巡る修行者や修験者の姿が浮かび上がってきた。江戸期に全国を修行・巡礼していた旅僧円空もその一人だったに違いない…

母袋と幻の鎌倉街道

母袋を東西に抜けつながる鎌倉街道の概念図 山を越え伸びる、いにしえのハイウェイ 母袋(もたい) それがこの集落の通称として古くから呼ばれている名前です。古い地名には、漢字が定着する以前の地域呼称が含まれていると言われています。その呼び名にどのよ…

幻の鎌倉街道を考える②

服部氏の『峠の歴史学』に記述された、鎌倉街道についての概要は①に書いたが、著書にも書かれているように、過去にもいくつかの資料からその存在が明らかになっている。飛騨・信濃の鎌倉街道については、岐阜県教育委員会発行の『歴史の道・飛騨<野麦・越中>…

幻の鎌倉街道を考える①

服部英雄氏の著作『峠の歴史学』を読んで、その中にも記述のある鎌倉街道について改めて考えてみたいと思う。以前から郡上の北西部の地域に『鎌倉街道』という山越え道の伝承が残っていることについてこのブログの中でも部分的に触れていたが、この書物にあ…