いにしえ峠道

既に記憶からも遠くなり忘れ去られた峠越えの山道を歩いてます

仏(佛)峠

この峠は現在の国土地理院地図ではその場所が明記されていない、まさに旧峠です。場所は、郡上市に現在建設中の内ヶ谷ダムサイトの西北西の福井県境にあった峠道で、福井の旧穴馬村にある野々小屋谷川から荷暮集落に出る山道です。今回は、岐阜の県道52号(白…

幻の鎌倉街道を考える⑤

中世にこの鎌倉街道が本来の目的通り軍事利用されていたのなら、何等か歴史記述にその痕跡があるに違いない。近いところからその痕跡をたどってみよう。 『太平記』によれば、延元3年(1338年)頃、足利幕府は、越前の南朝方新田義貞を討つため東海の諸将を…

美濃の峠と道(平成11年3月建設省中部地方建設局岐阜国道事務所発行「美濃の峠」より)

1 道が開かれる 狩猟採集の時代、人々が山野を走りまわって踏みつけた跡が小径となり、また獣道が道の原型となっていた。これらの道を使って石器や土器が運ばれ、文化の伝播や物資の交換などの交通現象が始まった。 弥生時代には各地に「ムラ」から「クニ」…

峠の魅力(平成11年3月建設省中部地方建設局岐阜国道事務所発行「美濃の峠」より)

■峠の魅力の構成要素 岡山大学 環境理工学部 教授 馬場 俊介 峠は国境(くにざかい)、市町村境として、人間にとって生活や経済活動の境界となってきた。また、分水嶺という自然の境界線が、動植物や地層の分布境界を形づくってきた。こうした峠と、そこに通じ…

現代の鎌倉街道 (幻の鎌倉街道番外編)

美濃飛騨に残る鎌倉街道の残影を求めて縷々書いてきたが、では現代の鎌倉街道はどうなっているのだろうと考えた時、あらたな鎌倉道の姿が見えてきた。中部縦貫自動車道は、北陸道福井北JCTから東に、勝山から大野を抜け、九頭竜ダムから油坂峠を越えて、東海…

幻の鎌倉街道を考える④

前項、幻の鎌倉街道を考える③では、ロマンに走りすぎてしまったので、ここで軌道修正する。近世には、修験者をはじめ遊行僧、繭や藍など仲買や行商者、旅芸人などが頻度にこの道を通っていたし、もちろん近隣住民も通う道であったに違いない。繰り返すが、川…

幻の鎌倉街道を考える③

いにしえ、この街道を通っていた人々の足音をたよりにその姿を想像する。ある意味それは、歴史ロマンである。近世の渡世者の姿から、山を巡る修行者や修験者の姿が浮かび上がってきた。江戸期に全国を修行・巡礼していた旅僧円空もその一人だったに違いない…

母袋と幻の鎌倉街道

母袋を東西に抜けつながる鎌倉街道の概念図 山を越え伸びる、いにしえのハイウェイ 母袋(もたい) それがこの集落の通称として古くから呼ばれている名前です。古い地名には、漢字が定着する以前の地域呼称が含まれていると言われています。その呼び名にどのよ…

幻の鎌倉街道を考える②

服部氏の『峠の歴史学』に記述された、鎌倉街道についての概要は①に書いたが、著書にも書かれているように、過去にもいくつかの資料からその存在が明らかになっている。飛騨・信濃の鎌倉街道については、岐阜県教育委員会発行の『歴史の道・飛騨<野麦・越中>…

幻の鎌倉街道を考える①

服部英雄氏の著作『峠の歴史学』を読んで、その中にも記述のある鎌倉街道について改めて考えてみたいと思う。以前から郡上の北西部の地域に『鎌倉街道』という山越え道の伝承が残っていることについてこのブログの中でも部分的に触れていたが、この書物にあ…

気良峠 郡上市明宝

"気良"と書いてケラと読む。 郡上市の旧明宝村にある集落である。 気良には思い出がある。 郡上にUターンする前に、若者たちのイベントで初めて訪れた場所なのだ。 初めて訪れたその場所は、牧歌的な風景の続くいかにも農村という光景であり、それまで持って…

【番外編】稚児山白山遠望

気持ちはあるのだが、なかなか峠探訪が進まない。今回はその足慣らしとして軽めの登山を試みた。登山というのもおこがましいくらいの山なのだが、たまたまGooglearthで3D地図を見ていたら、近くから白山展望が良さそうな山を見つけたので軽い気持ちで歩いて…

中山道鳥居峠(お楽しみ企画)

さてさて、ゴールデンウィークお楽しみ企画の第2弾!今回は、中山道の薮原宿と奈良井宿の間にある鳥居峠を歩いてみることにしました。言わずと知れた中山道、天下の五街道を歩くわけですから、いつもの峠探索とは全く異なり、大都会に出た山野のこだぬきの様…

野麦峠(お楽しみ企画)

今回はゴールデンウィーク中ということもあり、遠出もできるということで特別企画として企画してみました。野麦峠は知らない人もいないくらい有名な峠です。その分けは、『ああ、野麦峠』という映画が1979年に制作上映され、大ヒットしたこともその知名度に…

会所洞峠 大和町万場~落部乙原

この峠も古地図には峠名の無い峠道として表記してありましたが、国土地理院地図には峠道の表記がなく、これまでチャレンジすることはありませんでしたが、レーザー地図(ひなたGIS)を見たら峠道が現れていたので登ってみました。 古地図に残る峠道はまっすく…

旧白川街道高鷲からひるがのへの山越え

旧白川街道は郡上白鳥から砺波に抜ける98kmの山道である。 その中でも、ルートが明らかになっていない区間として、高鷲からひるがのの四本杭の区間がある。四本杭とは、美濃と飛騨の国境を示した場所として、近世の逸話が明らかとなっているが、現在その場所…

河内峠からの旧大峠

古峠探索が不発に終わり、このままでは帰れないなと、さらに南にある河内峠を探索してみました。これも国土地理院地図で発見したものです。 この峠までは既設の林道が入っているため、麓からの渡渉探索はやめ、まずは峠位置の確認を優先しました。 古地図に…

古峠(未確認)

国土地理院地図を見ていたら、近くに古峠という峠跡の表示があり、谷道から続く古道跡も表示されていたため、チャレンジしてみた。 この古道跡は、郡上市美並町の北部から東に向けて峠を越え、八幡町野々倉や小那比(おなび)に抜けるための古道である。事前の…

円空仏師の通った道探索その①(失敗例)

一年ぶりとなる峠探索。春から夏は暑いし、百姓が忙しい、冬は雪でむり。そうなるとどうしても春先のこの時期が峠探索の季節になります。今回は、この地域(諸説ありますが)を拠点として、全国を遊行し霊山霊地を巡り、神仏像を彫像して奉納し歩いた、江戸中…

六ノ里から奥大間見へ抜ける峠

この峠も既に地図上には痕跡はなく、"忘れられた峠道"となって久しい。六ノ里は、古来から東西に延びる鎌倉街道の一部と言われており、古くから山越えのルートが発達してきた地域である。現在も、大洞峠を越えて明宝寒水(かのみず)へ抜ける道が現存している…

鷲見から一色に抜ける峠(県道惣則高鷲線)

このコースは高山市荘川町一色から郡上市高鷲町鷲見に抜けている惣則高鷲線にある峠部分だ。峠名は無いが古地図には県道となっている部分とほぼ同じ個所が点線で描かれ古来から峠道と認識されていたことがわかる。冬季閉鎖区間(5月下旬か?)であるため車で…

旧軽岡峠

現在の国道158号(472号供用)は荘川から高山に抜けている。途中清見に出る手前に軽岡のトンネルを抜けているが、以前はその北側を走る新軽岡峠を越えていた。旧峠のある場所の北を高速道路のトンネルが走っているが、国道と新軽岡峠は北側に山塊を大きく迂回…

道谷峠(大間見周戸から小間見大ヶ原に抜ける峠)

この峠は昭和初期改定の古地図にも道谷峠と記載されている。口大間見(旧弥冨小学校の在る場所)から大間見と小間見を遮る山の谷間にある峠だ。地図で見ても標高差は100m程度と峠道としてはとても楽なものだ。大間見の本道から円光寺の裏に入ると周戸の谷の分…

旧峠の面白さ

ここで取り上げている峠道の多くは、地図に示されていない旧道が多く、地図に示されている場合でも、その道は新たに作られた自動車道ではなく、それ以前に歩いてもしくは牛馬で越えた山道を指します。 そのような旧道は、近世以前から利用されていましたが、…

内ヶ谷峠再訪

美濃と越前の国境に近い、旧内ヶ谷峠への訪問は、今年二月以来二回目となる。二月にはまだ残雪が残り、旧道の確認などは難しい状況だったが、部分的には旧道の存在を確認することができた。今回は改めての旧道調査となった。内ヶ谷峠は旧大和村内ヶ谷の最北…

無名峠(小間見田代から大間見岩垣内に抜ける峠)

昭和初期の地図 昭和初期に改定された国土地理院地図の古地図を見ていたら見つかった名も無き峠道を歩いてみた。郡上市大和町の小間見の奥である田代から大間見の岩垣内に抜ける峠道である。小間見の集落が無くなるあたりから田代林道となる。Uターンできそ…

無名峠(小間見常保から大間見岩垣内に抜ける峠道)

秋には大イチョウの木が美しい 旧大和村の大和村史に掲載されている周辺の峠道の略図にあった無名の峠道を歩いてみた。 最初に小間見から登ろうと思い、入口にある諏訪神社周辺を探索してみたが、結構な急斜面の山麓には山道らしい跡が見つからなかったので…

六ノ里母袋峠(栃洞)

旧道入口の風景 この峠はわたしの峠探索の原点かもしれない。数年前、六ノ里の集落で、唄踊りの聞き書きをしていた時に、「昔は盆踊りがあると、隣村である母袋(もたい)へ下駄で峠を越えて踊りに行った」という話を聞いて、夕方のけっこうな山道をしかも下駄…

口神路峠(仮称)

口神路の白山神社からのロケーション この口神路峠は峠名称が残っていなかったので仮称としていますが、地域では何等かの名称が残っているのかもしれません。峠としての記録は残されていなかったのですが、蛇行する長良川の護岸道(歩危)であるため、近代以前…

檜峠旧道

檜峠は美濃白鳥から越前境を越えて九頭龍川の源流にある石徹白村に行く旧道です。 昭和33年に現在の県道が敷設されるまでは山道の旧道を歩いて越えるしかありませんでした。 しかし、この道は古来より美濃白山信仰の登拝道であり美濃禅定道とよばれ、往古よ…