いにしえ峠道

既に記憶からも遠くなり忘れ去られた峠越えの山道を歩いてます

仏(佛)峠

この峠は現在の国土地理院地図ではその場所が明記されていない、まさに旧峠です。

場所は、郡上市に現在建設中の内ヶ谷ダムサイトの西北西の福井県境にあった峠道で、福井の旧穴馬村にある野々小屋谷川から荷暮集落に出る山道です。

今回は、岐阜の県道52号(白鳥板取線)で落部から内ヶ谷に抜け、金山の橋の手前を内ヶ谷川に沿って北に抜ける林道に入り、なら谷を越えて少し行くと川が二股に分かれる場所があり、北に行くとしょうけ谷への道になるので左側に行きたいのですが、その先は造林作業によりゲートが施錠されているため車を手前に停めて歩きました。

よく整備された川沿いの林道を30分程度歩いた先に小さな橋があり、橋柱に「ほとけたに橋」と書かれており、橋を渡りすぐの右の谷筋に向かいます。
そこから先は作業路跡が続いてますが、車では入れない状況です。
途中から谷筋も狭くなり、作業路も切れ旧道跡の谷道が現れます。
何度か谷を渡り道跡をたどると急に鞍部らしき場所が開け、100m程で峠跡(標高930m)にたどり着けました。

古い旧道跡は、峠の手前50m程しかたどれませんが、峠は昔のままの雰囲気を残しており、峠には[南無妙法蓮華経」と書かれた石碑と峠の地蔵が残され、平成19年に設置され、峠の名称を刻印した石碑がありました。

越前側は下ってみなかったので確かなことは言えませんが、地図で見ると野々小屋谷川の源流に出て途中からは林道となっているようです。
その野々小屋谷川を下ると荷暮川に合流し、旧荷暮集落に出るようです。
合流点を少し下った所から西の谷に向かうと岩井峠という峠もあったようでここを越えると面谷川にも行けるようです。

戦国期には信長の軍勢が油坂峠やこの峠を越えて、穴馬に入り一向一揆勢力戦ったという歴史があるようですが、なかなか馬で越えるのは大変な峠道です。
周辺の峠道を見ていると、美濃から越前に抜けるための山道であり、往時は商人や炭焼き、木地師が残雪期の油坂を避けてこの峠を利用したように思われます。

仏(佛)峠の所在を示す旧地図


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