馬坂峠は大和町栗巣と神路路をつなげる峠(坂に近いが)だ。
今はとても広い舗装路が整備されていて、車なら10分弱で越えられる峠です。
新峠は鞍部をさらに30m程掘り込んであるため、走っていると峠という感じはしないが、周りは5~600mの山で囲まれているため、以前は山を越えて隣村に行く感じの峠道であっただろう。
旧道を探すため、神路側から探索を開始した。
神路側の入り口近くには上神路の白山神社があり、その脇に作業路が入っていたためこの道に辺りをつけて登ってみたが、谷道はすぐお椀状の地形に阻まれたため、とりあえず尾根筋にとりつくことにした。
尾根筋を少し歩いてみたがそれらしい旧道跡を見つけることができず、結局時計回りに一回りして神社の裏に戻ってきた。
どうもこの谷ではないらしいので、新道の入口を見てみたら、朽ち果てた木の指標があり、馬坂峠と書いてあった。
この道、新道と旧道(山道ではない)が重なっており、新道の峠あたりに、地蔵が祀られていた。
明治3年に作成されたこの地蔵は、当然当初は旧峠道に設置されていたのに違いないが、舗装道が整備されるときにここに移されたようだ。
新道は深く掘り下げられていたため周囲は広く切り開かれていて痕跡をたどることができない。
とりあえず、新道脇に残る旧道(山道でなく)を登って見ることにした。
峠手前には旧道の整備記念碑も残っていたが、旧峠の痕跡はどこにもない。
もし、旧峠の道跡が新道(旧道含む)に重なっていたなら、ほぼ調査は不可能だろう。
2つの舗装路工事で山道は跡形もなく消えているからだ。
今回はこれ以上の探索はあきらめることにて、兼寄側へ下りた。
新道が大きくカーブした脇に神社の祠らしきものを発見し、車を停めた。
兼寄集落の白山神社であった。
今まで気が付くことはなかった場所だ。
ちょうど馬坂峠の登り口あたりに位置するため、ここが当時の峠道のスタート地点であったのだと思う。峠を下りるとそこには上神路の白山神社となっている。
往時はきっとお盆の頃には、峠を越えて双方の村民が集まり神社で催された盆踊りを楽しみ、そこで若い人たちの出会いがあり、集落を越えた結婚などがあったのではないだろうか。
浴衣を着た若い衆が薄暗い馬坂峠を下駄を履いて越えていく姿が昭和30年代頃までは見られたに違いない。