内ヶ谷峠は国土地理院の地図にも明記されている峠名です。
しかし、道路敷設はされておらず、白鳥町側からは林道(舗装)や途中から作業路が伸びていてますが、その後は谷筋を歩いていく他はありません。
この時期はまだ雪に覆われていたため、古道を探すのは困難だったのですが、谷筋を離れ峠に近くなるにつれて、古道跡らしい道がところどころに残っていました。
内ヶ谷峠らしい鞍部に出ると視界が開け、峠の向こうには作業路が近くまで開設されているようでした。
本来の古道は、内ヶ谷のしょうけ谷筋に抜ける道なのですが、ここは少し北に行くと越前国境であり、旧油坂峠のトンネルを出たところから、南に谷筋を入っていく林道につながっています。
1000m近い峠付近はさすがに雪深く奥山を感じさせる場所でありました。
以下、『美濃の峠』(岐阜国道事務所平成11年発行)より引用
1 内ヶ谷峠の位置と別称
内ヶ谷峠は、大和町の内ヶ谷からと白鳥町の越佐から登ることができる。内ヶ谷の人は越佐峠と呼んでいた。
2 大和町の内ヶ谷から登る
大和ICから11.3㎞進むと内ヶ谷川に架かる内ヶ谷1号橋がある。このあたりは杉が植林された山の間を内ヶ谷川が流れ、美しい景色である。さらに、ここから1.4㎞板取方面に進むとであい橋がある。であい橋の手前を右折すると、平瀬方面と内ヶ谷峠のある承ヶ谷に通じる。であい橋を渡って県道52白鳥板取線を進むと西峠にたどりつく。
であい橋の手前10mの所に「内ヶ谷山荘」の表示とその表示の袂にお地蔵様がある。お地蔵様には「弘化三丙年」と記してある。
このお地蔵のある所から、車で4.1㎞進むと「平瀬方面」「承ヶ谷(しょうけだに)」の表示がある。この道はトラック1台が通行できる道幅である。「承ヶ谷」の表示の方20m先を見ると三井農林株金山社有林と書かれたゲ-トがある。このゲ-トをくぐって2.5㎞進むと内ヶ谷峠がある。この道は林道で3.3㎞は車で行けるが、ゲ-トが閉まっているため徒歩で歩かなければならない。
内ヶ谷峠までは、「でだに川」という川が流れ、美しい風景である。「承ヶ谷」の表示から1㎞を過ぎる頃から5箇所で約70㎝幅の谷川が急斜面を流れ落ちてくるのを見るこができる。でだに川の川幅は「承ヶ谷」の表示付近では約5mもあるが、約1㎞ほど進むと急に狭くなり1mほどになる。この「でだに川」は、あまご、いわなの宝庫であり、太公望が多く訪れる。林道ができてから、多くの人が釣りに訪れるため、林道が作られる以前に比べ、魚の数がめっきり減り、釣果は格段に落ちてきたと元住民は言う。
3 白鳥町の越佐から登る
白鳥町越佐に登り口があり、林道がついている。林道は幅約2mで、小型4輪駆動車でなければ登れない。約1.5㎞ほど車で登ることができる。林道の終点からは、300mほど人が通る道がついているが、それから先は道が分からない。越佐に住む古老も最近は利用する人がいないので道が分からなくなくなっていると言われた。
白鳥町越佐からの登り口から、約1.5㎞の所では眼下に白鳥町の町が見え、また遠くに六ノ里方面を見渡すことができ、素晴らしい眺望である。
聞き取り内容 大和町の落部から行ける林道ができた昭和36年までは、え越佐からも登りましたが、それ以降はこちらから登ることはありません。峠への道もわからんようになってしまった。今は用も無いし、誰も登らんな。地元のもんでも、道が分からんので危ないので行かんな。 昭和36年以前までは、ここの越佐から、那留や大島、越佐の人が摘菜によく行ってたな。山にはモグサやウド、わさび、だらの芽、ふうきなどいろいろな山菜がありました。かますいっぱいにモグサが採れました。その頃は食べ物も無いもんで、大勢の人が採りに行きました。魚とりにも行きました。内ヶ谷峠から下りていくと、谷川があってようけ魚がいました。岩魚やアマゴ、うなぎがたくさんおったな。尺いわなや尺アマゴ、中には40cm以上もあるので釣れたで。サツキマスもおった。朝早くに家を出て、陽が昇る前には峠に着いとった。暗くても人の通る道は分かったな。今は、大和の方からええ道ができたので、そっちから行くようになったな。大勢が釣りに行くので、今はあんまり釣れんな。 内ヶ谷には、三井物産の山があって、昭和30年頃は、材木を出すのに越佐から入る人もおった。歩荷(ぼっか・荷物を担いでいく人)も5人ぐらい登っとったな。歩荷は、味噌やたまり、寝るものを運んどった。材木を出すときは、せぎを作って水をため、鉄砲水で下へ材木を下ろしたんや。
聞き取り内容 歯医者はなら谷を通ると、今の大中駅に出ることができるので、そっちから行きよりました。病院は黒田峠を通って、剣か徳永の病院へ行きましたので内ヶ谷峠は通らなかったです。 明治前までは、八幡の青山の殿様の領地でした。それで、檜はもちろん雑木一本も許可がなければ切れませんでした。床屋の家でも、床柱に1本を檜を使うくらいで、その床柱にも色が塗ってありました。 |