いにしえ峠道

既に記憶からも遠くなり忘れ去られた峠越えの山道を歩いてます

六ノ里から奥大間見へ抜ける峠

この峠も既に地図上には痕跡はなく、"忘れられた峠道"となって久しい。

六ノ里は、古来から東西に延びる鎌倉街道の一部と言われており、古くから山越えのルートが発達してきた地域である。

現在も、大洞峠を越えて明宝寒水(かのみず)へ抜ける道が現存している。
また、栃洞から南に山越えをすれば大和の母袋(もたい)集落であり、古来から山越えの交流があったことが伝えられている。

今回は、六ノ里と野添集落の境目から南に山を越えて奥大間見の集落に抜ける峠道の探索を行った。

地理院地図で見ると、奥大間見からは、石原林道という林道(途中から作業路)が峠あたりにまで続いている。
そして、その向こうには、六ノ里側に点線が集落まで続いているので、これは昔の古道(峠道)であると確信したのだ。

古峠ハンターのセオリーとしては、"旧道探索は峠跡を見つけることをスタートとすべし"であるため、まずは車道が続いている大間見側から侵入した。

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六ノ里奥大間見峠

林道は途中いくつか分岐しているが、那留のため池に行く道と分かれる林道が北に延びるあたりに谷川が流れており、その谷の奥に峠があるのだが、既に歩かれなくなって50年も経た古道はほぼ見つけることが不可能なため、このあたりに車を停めて新たに新設された(30年程前か)作業路を歩いて峠付近まで行った。

途中、谷そばに古道跡らしきものを見つけることもできるのだが、地形が変わりすぐロストしてしまうため、まずは峠を見つけてそこからたどることが、古道探索の胆なのだ。

作業道を登っていくと尾根筋あたりに来たので、一番鞍部らしい場所に見当つけて尾根筋に登ってみると、峠道跡はすぐに見つけることができた。

峠あたりは、U字型に削られていることが多く、見つけることが容易いのだ。(
写真1)

案の定、ここもわかりやすく削られている場所であったが、その先はすぐにわかりにくくなっており、作業路が入った大間見側は特に荒れてしまっていることが多い。

まずは、峠から栃洞集落側にたどってみることにする。

地図に点線で表記された場所は比較的なだらかで、両側を尾根筋に囲まれた広い谷筋を下ってゆく感じであるようだ。
40年程前に植林された杉林を下ってゆくと、峠から程ない場所に炭焼き窯跡があり、植林以前には金木林で炭焼きが行われていたようだ。さらに進むと巨石も沢山あった。

途中途中には古道跡があり明らかに人の通った痕跡が残るが、4~50年の経過でほぼわからなくなってしまった場所もあった。

集落の手前300メートルまではたどってみたが、この先は改めて車で六ノ里で確かめることにして、峠に戻り今度は大間見側を探索してみることにした。

大間見側は作業路がつけられていることで、さらに荒れているためほぼ古道跡は見つけることはできませんでしたが、古道はほぼ谷筋沿いにあったと思われるため谷筋を沿って歩いてみた。

谷は徐々に深くなり川となっていて、滝のようになっている場所もあったが、なんとか車を停めた場所までストレートに帰り着くことができた。



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