いにしえ峠道

既に記憶からも遠くなり忘れ去られた峠越えの山道を歩いてます

和那手峠(大和町小間見常保から栗巣西俣村への峠道)

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この峠は大和町小間見常保から栗巣西俣村へ抜ける峠道にあるのだが、いずれからも林道が入っていて峠まで車で行くことができる。(現在は和那手からの作業道は工事中で侵入できない)

車では侵入できなかったので、集落入口で住民の方にお話を聞いたら、峠までは下栗巣側から車でのぼることができるということと、峠には地蔵が祀ってあり、その地蔵を祀った来歴まで教えてもらった。(元は違う場所にあったものを引き取り峠に祀った人の子孫であった)

今回は事前調査ということで、下栗巣の西洞からの作業道を登ってみた。
舗装路ではないがほぼ峠近くまで車で登ることができる。
詳しく調査する時間がなかったので古道がどうなっているのかを探索できなかったが、峠から尾根筋すぐ下を南下する道跡があったがそれが古道なのかは確認できなかった。
(たぶん違う)f:id:peksan:20190303152847j:image

案の定、峠から小間見に下る林道には巨石が転がっていてとても避けられない。



後日、(雪がきえたので)再び峠道の調査を開始した。
今回も、栗巣の旧西俣村側から林道を登り峠まで登りそこから調査を開始した。

上る道すがら旧道の跡を探しながら登ったら谷筋にそれらしき道があったが、峠(新道の)の位置からは谷筋がかなり南にあったため、やはり旧道の峠は現在の場所とは違うのではないかと予想した。(それは的中していた)

とりあえず、旧峠を探して尾根筋を南下してみた。
尾根筋下を南に続く道跡があったのでそれをたどってみたが、旧道としては広すぎで作業路の一部ではないかと予想した。

300m程歩きながら、旧道跡を探したが見つからず、結局尾根筋を引き返した。
(途中かなり南に道跡の様な鞍部を発見したがその時は確信できなかった)

結局峠を小間見側へ林道を歩いて探して見ることにした。
しかし、その途中には全くそれらしい痕跡を見つけることができなかった。

ほぼ人家の見える辺りまで下ってきた時、山裾に墓の様な石標を見つけ。
南無阿弥陀仏という文字が見えたので、てっきり墓だと思ったが、文字の左右に書かれた文字をよく見たら、ビンゴ!!
「左やまみち、右西俣みち」と書かれていた。
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ようやくここに来て俄然やる気が湧いてきた。
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この石碑は動かされた形跡がないので、きっとここが二股になっていて、やまみちのほうが林道となってしまったのだろう。
西俣みちのほうは山を登っていく感じなのだがはっきりわかりやすい跡はないため周囲を確認しながらゆっくり上り始めた。

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少し上ると途中、U字に掘れた道跡らしきものがあり、これは間違いないと確信できた。

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かなり尾根筋に近づいてきたらしく平坦な場所が広がってきた。
途中、かなり大きな巨石があり、古色蒼然としたいかにも古道の風情であった。

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 最初に歩いた、尾根筋脇の作業路に出たためそのまま、尾根筋に直登したら予想通りそこが旧峠の場所であった。( 旧峠にはなにもそれらしい遺跡はなかったが)

旧峠をさらに西俣村側へ下ってみたら、すぐ谷筋を下りる道となり、車で上ってくるときに検討着けていた谷筋にでてきてこちらもビンゴであった。
 

林道の峠に祀ってあった地蔵は、1802年(享和二年)に作成され別の場所に祀られていたものを先日お話を伺った方の祖先が、明治二十四年に修復後旧峠に設置し、林道開設後はこちらの新道の峠に移されたようだ。



*この地蔵は「源兵衛地蔵」とよばれ大和町史にも来歴が書かれている。

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