いにしえ峠道

既に記憶からも遠くなり忘れ去られた峠越えの山道を歩いてます

旧峠の面白さ

ここで取り上げている峠道の多くは、地図に示されていない旧道が多く、地図に示されている場合でも、その道は新たに作られた自動車道ではなく、それ以前に歩いてもしくは牛馬で越えた山道を指します。

そのような旧道は、近世以前から利用されていましたが、近代化による交通施策により、水系沿いの舗装路が整備されていくと、次第に山越えの道は利用されなくなりました。

昭和30年代頃から全国で始まったこの変化は高度経済成長とともに進み、50年代には多くの場所で忘れられた道となってゆきました。

もちろんそれは、自動車社会による単なる合理化や効率性によって生まれた変化というわけでなく、地域社会やコミュニティの在り方が近代化や機械化が進むことで大きく変化したことにより、山を越えて結ばれていた地域交流や交換(婚姻を含め)に多大なる影響を与えたことも見逃せない事実です。

 

それまでは当たり前のように山越えの経済交換や文化交流があり、その交流通路として四方の山を越えてゆく峠道が網の目のように整備されていたのですが、山道を整備する人のいなくなった旧道は時間が経つにつれて、野草が生い茂り雨雪の被害によって崩れてその存在がわからなくなってしまいました。

 

半世紀を経て、もはや利用する人もなく忘れ去られてしまった旧道ですが、一部は新道(自動車道)となり、峠名が残る場所もあります。その他の多くの山道は植林による林道整備や谷沢の砂防工事により、道跡の痕跡すら辿れない状況です。

 

今日では、旧地図や地域資料に残るこれら旧道の痕跡(地図で旧道跡が点線で記載されている)を発見して、現地で標高地図を参考に探索してみるか、麓の集落の住民がいたら話しを聞き、峠道の消息を伺います。

 

なかなか旧道の痕跡を見つけることができませんが、地図やGPSと照らし合せて峠をまず見つけ出すことが近道です。

 

峠は越えやすい山の鞍部にあることが多いのでそのような場所を目指して登ってみると良いでしょう。

峠には、何も痕跡がない場合もありますが、石碑や地蔵が残されている場所もあります。
細尾根の峠の場合は、長い間利用されているうちにかなり峠部分が掘れてえぐれている場合が多いのでわかりやすいです。

峠さえわかれば、その両側に延長する古道跡が探し安くなります。
上りではなかなか見えてこなかった古道跡が、峠から下るとなんとなく道跡が見えてくるから不思議です。

あとは峠道の入り口を確認できれば完璧ですが、大体において谷沿いは舗装道の整備や植林、砂防工事などでその痕跡が消されていることが多いです。
あまり完璧を期待せず、昔の人々の通った痕跡の一部でも見つけることに喜びを見出すほうが賢明です。

旧道探索は一方で大自然との格闘でもあります。
旧道跡の消えた場所は自然が人の痕跡を呑み込んだとも言えます。
まさに道なき道を捜し歩くのは、山登りやハイキングにはないワイルドさが時として必要となります。

そこで、時としてありがたいのは獣たちの存在です。
獣もやはり歩きやすい道を選んで歩きます。そして同じところを何度も通います。まさに獣道です。
傾斜のきつい山道などは獣道を探して歩くとやはり歩きやすく。
獣達が通った足場は極めて安定度が高いのです。
そんな時は、自分も獣になったつもりで五感を研ぎ澄まして歩くとまた違った景色が見えてくるかもしれません。

何より一番の楽しさと言えるのは、一般の登山やハイキングの人々が好むような場所ではなく、誰にも会わないでいられることです。(決して人嫌いではないのですが)
だれか別の人に出会ったらお互い、こんなところで何してるんだろうと訝しい思いをするでしょうから、できれば山の中で人には出会いたくないと思うのです。

まあ、変わり者の嗜好であることはいなめませんが。