いにしえ峠道

既に記憶からも遠くなり忘れ去られた峠越えの山道を歩いてます

古道道とは?

古道を探索することはまさに"道を極める"ことだと思っています。

たいてい"〇〇道"と呼ばれるものは、一つの修行を極めた先にあるそぎ落とされた感性の極地であり、死生観であり諦観であると思われますが、この道もその意味では一つの達観を求める修行であると言えるのではないでしょうか。

重要なことは、
相手は大自然(人間以外)であるということ。
その中に見えない道があるということ。
道は必然の中につくられているということ。
死者を含め語らないものとの対話が重要だということ。
それらの行為はもはやこの世のことではないということ。


日本では、古来から多くの人々が森を歩きました。
もちろんそれは、修行者や宗教者という特定の人のみならず、山野を住処にとした蝦夷や山人、狩猟生活者や焼畑の山民、サンカやかったい。中世賤民や遊行芸能者などさまざまな人々が山々を越えて旅をつづけました。

現代人はスポーツや娯楽以外に山に入ることを忘れてしまいました。

山に入り歩くことは、単なる移動や人目を避けるというという目的以外の"境界を越える"という意味があり、日常とあの世とのおどりばとしての異界性があります。

そこには、この世ではあり得ない神(自然)との交流があり、霊威とのエネルギー交換があるのです。

ある意味山も禊ぎ場であります。

失われた古道を探すという行為は、そのような目には見えない霊威にふれ、死者(既にこの世にいない人)と交流をする場でもあります。

一つの道に時代を越えた無数の人々の行き通った姿を知るそれが古道道です。