いにしえ峠道

既に記憶からも遠くなり忘れ去られた峠越えの山道を歩いてます

西坂旧道(郡上市白鳥町)

峠をテーマとするこのブログなので、峠とは関係ない山道は本来扱うべきではないのですが、ここは私の幼い頃の思い出が詰まった道であり、長い間その所在を探していたこともあって、思い入れが強い場所なのであえて掲載させてもらいました。
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ここは、郡上市白鳥町の市街の東にあるなだらかな台地につづく旧道(山道)です。
現在はこの台地の頂上部の下を東海北陸道のトンネルが通過しています。

この台地は地形上水系から遠く、長い間水田耕作が困難だった場所ですが、昭和の初めから始まった、ため池の設置により耕作が可能となり、近隣から開拓入植者が入りました。私の祖父母も昭和の始めからこの土地に入植し荒れた野原をゼロから耕して農地を広げ家族を養ってきました。

もともと利用価値のない荒地であったため道路等の整備はなされておらず、ここから東の麓にある牛道村の地から続く山道が唯一の通路であったと思われます。

戦後、白鳥町に合併される(昭和30年前後)頃には白鳥の町に続く道が台地の南端部に敷設され、ようやく自動車が通える道が整備されました。
それまでは、白鳥の町に出るためには山裾を西に下るしかなく、そのための山道が整備され、入植者の多くは町に出るためにこの道を通っていたといいます。

西坂の祖父母の家の周囲には今もわずかな田畑があり、父の代から田んぼ作業に通っていて、幼少の頃は父母に連れられてちょくちょく遊びに来た懐かしの場所であります。
その頃は既に車道が整備されていたので、山道を歩く必要はなかったのですが、10才も過ぎた頃になると子供だけでいろいろと遊び始めるころであり、歩いてこの山道をたどり、西坂の祖父母の家や、その奥にあるため池へのハイキングに出かけたものです。

そんな思い出の山道を長い間思い出すこともなかったのですが、数年前から無性にこの道のことを思いだすことが多くなりました。


昔は白鳥の町から西坂の山道の入口は、駅の東にある養林寺の裏山を登っていくところから始まっていて、小山を越えた場所は開けた場所で田畑があり、冬は地域の子供たちのミニスキー場となるような場所でしたが、昭和53年にこの場所が郡上北高校が移設され、その頃の地形が変わってしまい、どこが山道に続いているのかまったくわからなくなってしまいました。

なので、今回は昔の記憶を頼りに、西坂の実家のほうから下ってみることにしました。
子供の頃の記憶では、まっすぐ山道を下りてきた来たように記憶していたので山裾を谷筋に下ってみたら、出た先は曽別地川のかなり上流部に出てしまい間違えました。

スマホで現在位置を確認しようと、国土地理院地図を開いたらなんと、点線で旧道(山道)跡が表記されていてビックリ。その道は山腹を斜めに貫いていたのです。

それで、点線に向って山腹を南に移動したら、一部階段のように敷き詰められた石の跡のある旧道を見つけることができました!

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荒れた旧道跡をたどって下って行ったら、高校から少し入った場所にある一軒のお家の庭に出ました。
本来ならその先に今の高校の校舎の裏側に続く山道があったはずですが、地形が変わってしまい、記憶していた場所よりもかなり北側にあったことがわかりました。
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登り口が判明したあとに、こんどは山道の入口を探るべく旧道跡を西坂に向けたどったら、田畑のある集落のはずれに出たのですが、それも思っていたよりも200mも南に下った場所でした。

この山道も、人が歩かなくなって50年近くなり、藪が生い茂り倒木が道を塞いで、全体的に廃道化していてスムーズに歩くことはもはや困難な状況ですが、祖父母や父の兄弟たちが通ったであろう古道を再び確かめて歩くことができて感慨深い体験でした。

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